自分はこれまで『現実社会~リアリティ~』というフィクションの中で生活していたのではないか?というのがこの本を読んだ感想である。
現在、テレビやソーシャルメディアによって、あらゆるにニュースが即座に入手できることから、起きている事実について知る事ができると「過信」しているが、そうした情報にはニュースを我々に伝えようとする意図を持った第三者による解釈が加味されている。つまり、何らかの味付けがされた社会の中に生きている。
本書のテーマは「人間の性質は本来 悪なのか? 善なのか?」であり、歴史家であり、ジャーナリストである著者は「善である」と結論付けている。
戦争や、研究、学説などを通じ人間の本質が愚かで悪であるという事を人類に信じ込ませるために払われた多大なエネルギーについてたどり、逆説的に、人間は本質は善であるが故に、それだけのエネルギーとコストをかけなければ、『自分たちの本質が善ではない』という事を信じ込ませることができなかったとしている。
大衆に対しそう信じ込ませるのは、権威者にとって都合が良く、メディアにとって善行よりも悪行を報じ、恐怖や不快感を煽る方がお金になる。
そうこうしているうちに我々は「自分自身」についての理解をゆがめてしまったというのだ。
人間はより近しく、自分に似ており、コミュニケーションが容易な者に対して『親近感』を覚える。逆に言え距離が離れ、自分との相違点が認められコミュニケーションが無くなるほど『親近感』薄れる。
これが遠く離れた地に住む『人間』が自分たちと同じ感覚を持っているという事に思い至るのを難しくしている。
日本人である私は『日本人の美徳』という漠然とした善があると信じている。本書に出てくる、9.11の際に崩壊直前のビルから避難する人々のエピソードは、東日本大震災の際に整然と行動したエピソードを彷彿とさせる。
我々が『日本人の美徳』だと信じている善は人類共通のものである可能性が高い。
著者がエピローグで紹介している人生の10箇条の最後で、自分の本性に従い、勇気をもって他者を信じ、自分の寛大さを恥ずることなく良いことを行う現実主義になろうと語りかけている。
たとえ今は『騙されやすい非常識な人』と思われても、今日の非常識は明日の常識になり得るのだから。
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