親父の一番長い日

私が20歳のときに他界した父が健在だったころ、毎年父の運転する車で軽井沢にゆくのが夏休みの恒例行事となっていた。父はかなりの方向音痴で、自宅から駅の向こうにある映画館まで歩いて20分ぐらいの距離を車でゆこうとすると何故か道に迷い30分も運転した挙げ句に交番で「ここはどこだ」と道を聞く始末である。一方ナビをする母は地図を片手に右を指さしながら、「ここを左」などと言うような人だったので、後部座席に妹と二人で乗り込んだ私には軽井沢までの道のりが果てしなく感じられた。

今でこそ軽井沢までのドライブは高速道路が整備されているが、当時は1971年に整備された碓氷バイパスや魔の旧道といわれるほどカーブが多く道幅の狭い碓氷峠などを固唾を飲みながらドライブしていた。そんな不穏な空気の流れる車中でかかっていたのは「さだまさし」のカセット・テープであった。おおよそ45分間のテープを自宅から軽井沢まで何回転も聞くのでその「さだまさし」の曲が頭に刷り込まれてゆき、いつしか「さだまさし」の曲を空で歌えるようになっていた。

1979年にさだまさしが発表した「関白宣言」の大ヒットに続いてリリースされたのは「親父の一番長い日」という曲である。12分もある曲の長さも話題になったが、娘を思う父親の姿、それを見守る兄であり息子という視線が新鮮でまだ中学生だった私にとっても強く印象に残る曲となった。歌詞は、目の中に入れても痛くないほどに愛してやまない娘が嫁いでゆくまでを描いている。クライマックスとなるのは、青年が娘との結婚を認めてもらうために「お嬢さんを僕にください」というシーンで、父親は狼狽するも静かに「奪ってゆく君を殴らせろ」と答える。本当に殴ったのかどうかは歌詞にはないが「関白宣言」に続き昭和な家族の肖像である。歌を初めて聞いた中学生当時4歳下の妹がいる私は「我が家にもこのような修羅場が訪れるのだろうか」とぼんやりと思ったが、妹が高校生の時に他界した父は残念ながら妹の晴れ姿を見ることはなかった。

いつの間にやら時は流れ、私にも一番長い日がやってきた。娘のフィアンセを交えて家族で食事していると、妻と娘がなにやらモゾモゾと「ちゃぶ台」がどうしたとかこうしたとか言っている。そういうことかと娘のフィアンセと向き合うと「お嬢さんと結婚させてください」と申し入れられた。

「返品交換はできかねますので、末永くよろしくお願いいたします」

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